とくもちの解剖日誌

何気ない日常から自己分析したり、発信したりします٩( 'ω' )و

雨の日とブログ☔︎

この前雨の日でしたね。

行きたいところがあって、買い物するスーパーもその方面だったのでついでにまとめて行こう〜って行ってきました。

f:id:otama_zyakushi9:20210219221430j:image

↑京都に居た頃、北斎グラフィックの傘を店頭で知り憧れて買って今も使ってるお気に入り。ペンギン可愛い。

https://www.wargo.jp/products/detail3312.html

 

ズボン、靴下、靴全部丸ごとびっしゃびっしゃになりましたが、あそこまでドカンと降ることも中々久しぶりでしたね。

なのでびっしゃりはしましたけど、たくさん歩くことができて楽しかったです🏄‍♂️☺️

 

歩くことや自転車🚲などなど身体を動かしていること割と好きなんですよね。

雨の日も、どうしてもどんよりした空の色と空気に引っ張られて憂鬱にはなるんですけど、傘もお気に入りなんで好きなんですよね。

歩くのも、不便なのも。

 

雨ってどうしても外に出たくなくなるのが常なのですが、実際に一歩出てみると色々と今回発見がありましたよ。

そもそも自転車は使えない。しっかりしたカッパはないし、滑るし。

だから歩くと、まぁ時間かかるし大変。笑

普段の自転車でどれだけ速く移動ができているかを実感できますし、そうしてゆっくり歩いていると考えがとてもはかどりますね。

f:id:otama_zyakushi9:20210219220708j:image

びっしゃんびっしゃんになった足。笑

 

この雨はブログのネタにしよう〜 とか

この場所何年も前からずーっと馴染みで何十回と意識せず歩いてきた場所だけど、昔と今では私もこの小さな町も随分色々変わったなぁ とか

服も靴もどんどん濡れてくるけど、ここまでびっしょりすると清々しいな とか

歩くの時間かかるけど、こうして時間をかけて慣れた場所を歩くのも楽しいな とか

自転車だとそういえばこの道通らないな、久しぶりに歩いて新鮮だな とか

 

徒然と、そんなこといっぱい考えてました。

本当にブログのネタは基本私は尽きることほぼないでしょうね。

これだけ毎日色々あって(基本はニートですが。笑)ネタなんていくらでもつくれるし転がってるんで、それをどれだけ残せるかというのは、自分がそこに残そうという意識がハッキリさえしていれば毎日も夢ではないんですよね。

ただ残したくてもそれを1時間かけて残していく負担の大きさ。

結局は自分でやらないだけですけど、できるんですよ。めっちゃ大変だけど。

 

昔はそんな風に考えるのもできてませんでしたね。そもそも2000文字を乗り越えるのもめっちゃ大変で、意識しないで書きたいことだけ書いてたら1000文字くらいまでしかいかないって悩んでました。

今はそれより年とったからか(笑)書きたいことを詰め込んでいったら自然と1000文字は超えてくるし、なんなら1500文字いきますしね。そっから2000文字はほぼそんなに意識しないです。

というか文字数足りないなって悩むことがめちゃくちゃ圧倒的に減りました。何故か。笑

1週間に一回の記事投稿もじわじわネタ探すの難しいなとか思うことありましたけど、今はネタが溜まって溜まって仕方ないですね......(º﹃º)

f:id:otama_zyakushi9:20210219220801j:image

↑美味しくてたまらなかったヒレカツ

ソースはトンカツの方が美味しかった。笑

という。これもネタ。まだ記事にはしてないけど

 

あとは昔の考え方でブログは書けば書くほど自分の内側(価値観とか)を出していくことだと思ってたんで、多少の怖さがあったんですよね。

本当の自分が透明みたいに実体のないものになっちゃうんじゃないかって。

でも今言えるようなことは

「どれだけブログを書いて残したって私は私だし、それがブログに乗っ取られることなんてあり得ないよ🕺🕺」

という感じ。笑

 

だって↑あんなに色々と日々書くネタが転がってて、書いても書いても書きたいネタが減ることなんてほぼない中で、たまに過去のネタを引っ張りだしてきたとしても、私の全てはここには残せないもの。

日記だって十年近くやってます。自分にしか分からない自分だって山ほどいます。それがブログなんかのちっぽけなツールで分かることができるほど、私は単純な人生歩んでないし自惚れるなよと言いたい。\( 'ω')/

f:id:otama_zyakushi9:20210219221321p:image

 

あとは自分の人生にそんなに自信がなかったのですが、選んできたことに対して後悔をしたことはそんなになくて。

というか後悔してもどうしようもないし(戻ることは絶対にできないし。)そこは何を選択していても、誇っていいんだと思うようになれたんですよね。

前は誰かのかけてくれた言葉や選択肢を自分が選んでいたとしても、自分一人の力ではそこにたどり着くことができなかった、とその誰かのおかげと思うことが多かったです。

たしかにその要素は随分大きいです。

誰かが何かをしていて、それの手伝いができるのはそもそもその人が

「何かをし続けてくれているから」ですし

「その人が『手伝ってほしい』と声を上げたからこそ」

だと思うんです。

でも、だとしても、本当にその人を手伝うことを選択できたのは私の意志決定なので、強制されたわけではないのならそれは自分が決めたこと、だと胸を張って誇っていいと思うんですね。

 

そのことに気付くことができたのは、最近の大きい変化かもしれないですね。

前より成長できている証なように思うので、ちゃんと残しておきますね。

忘れそうになったら見返そうっと。

 

読んでもらってありがとうございました!

またね🌙

 

2021.02.19.17:18 2/17 朝