とくもちの解剖日誌

何気ない日常から自己分析したり、発信したりします٩( 'ω' )و

3.11 あの日から10年

あの日から、あの時間から、ほぼ10年と1時間経った今

時が流れて私は大人になって、まったりと過ごしています。

まず最初に、被害に遭われた方たちへの哀悼の意を捧げます。

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↑東北の写真はないので、全然違いますが四国 徳島県の海。(確か)

 

ただ時間が流れただけ

だと、私は思います。

節目とか区切りとか、何もない。

今日から劇的に何かが変わるわけでも、全部が全部進んできたわけじゃないと思う。

 

ただ、あの日は私にとっても衝撃的な日だった。

 

 

あの頃はまだ学生。

思春期の末真只中で、大好きなクラスメイトたちと、あの日もいつもと変わらず過ごしていた。

全部がいつも通りで、そのまま終わるはずだった。

体育かなんかの授業で、その日1日全部の授業が終わってて、クラスで帰りの会をするのを帰り支度をしながらわいわい待ってた。

 

14:46

 

学校全体が今まで体験したことないくらい揺れる。

めちゃくちゃ揺れる。

先生はまだ来ていなかったので、クラスにはクラスメイト(子ども)しかおらず、みんな慌てふためいて、とりあえず机の下に避難してた。

強い揺れはあまりに長く、不安を煽った。

もう死ぬんじゃないか

本当にそう思った。

不安で不安で、少し泣きそうになりながら、当時仲良かった子が近くにいたので、手を握り合って耐えた。

 

揺れが少し落ち着いてから(先生が来たのか校内放送が流れたのか)グラウンドにぞろぞろとみんなで出て行って、真ん中で座って先生たちが出てくるのを待ってた。

待っている間も揺れたりしていて、なかなか来ない先生たちにさらに不安を感じたり

「今日は部活休みだろうな」

「家は大丈夫かな、親や家族は」

と取り留めもなく色々なことを考えてた。

 

そして知らされたのは、

とりあえず身の安全を確保して、なるべく1人で帰らないように

ということだった気がする。

福島県沖で発生した大地震のことについては、その場で知らされていたかは覚えていない。記憶が曖昧)

 

それでも少し遠くから通っていた私は1人で帰るしかなくて、ケロッと帰ってたかもしれない。

帰ったら親がいて、色々と物は落ちてきたけど怪我もないし無事だと言っていて安心して、その呑気さと裏腹に全くCMのない番組が延々とテレビから流れてきていた。

ずーっと同じような放送。

予定されていたいつも通りの番組は全部「緊急ニュース番組」となって、たまに流れるのはACの番組だけ

「非常事態なんだ」って、じわじわ分かった。

 

現実だと受け入れたくない、到底受け止めきれないような映像と情報

 

なんでこんなことになってんだろう

家族は、場所は、大切な人は

想像することすらできなかった。

被害が、あまりにも大き過ぎて。

ちっぽけな私では、到底抱えきれない悲しさと苦しさと......色々な感情があったと思う。

 

自分の身内や大切な人は東北の方にはいなかったけれど、テレビの向こう側の大変な状況を想像して何回泣いたか分からない。

やるせなさと、虚しさと、悲しさと。

 

感情がたくさん動かされた出来事だったけれど、それでもほぼ何も行動として起こすことなく10年が経ってしまった。

ボランティアとか、色々できることはあったと思うけど......

ずっと応援してます。祈りだけは、向けて。

買えるものは買って、応援できるところは応援して。

 

これからも、毎年このことを思い出そう。

忘れないために、伝えるために。

 

なくならない、なくしてはいけない

少なくとも、私の中ではそういう出来事です。

 

 

読んで頂きありがとうございます。

ゆっくり休んでください。

またね🌙

 

2021.03.11.21:52

 


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