とくもちの解剖日誌

何気ない日常から自己分析したり、発信したりします٩( 'ω' )و

昔の散文

 

「ここのバイトを辞めたいって考えないんですか?」

私より半年くらい先に働いている、一つ下の子に聴いてみた。

「もう片方のバイトは体力的にも、肉体的にもものすごくしんどいから辞めたいです。でも、ここのはやることも単調で限られているし、そんなに苦じゃないので…」

 

みたいな会話をした。

分かるような、分からないような。

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↑時効だと思うので使っちゃう、私が作った座椅子。今は実家のリビングで毎日母に使われています。笑

 

誰かの為に、何かをしたい

と、きっとずーっと昔から無意識に思っていたのだと思う。

自分一人だけでコツコツ何かをして達成感を得るようなことは、私にはあまりできない気がする。汚いものを綺麗にするとか、そういうことは好きだけれど。

正解が分からないものに対して、自分でイイって思えるような領域にまでなっていない。少なくとも、ものづくりに関しては。

 

だからこそ、自分でつくりだす正解のないものづくりは、面白さを感じることが難しくなっていったのだろうなって思う。

 

「誰かの為に、つくるもの」ではなく「自分の為に、つくるもの」だから。

↑これは美術的な観点からのものづくりへの気持ち。「自分の為に、つくるもの」というのはDIY的な観点からするものづくりなので、結局私は美術や工芸におけるものづくりが苦手でできないんだろうと、卒業制作や大学時代にひしひしと思い知った。

 

自分がイイって思う基準も分からないし、そもそもイイモノって???

と考え始めるとぐるぐるぐるぐるして手が動かせなくなる。

 

1年生の頃にやっていたことは、あまり自分の頭を使うことがなかったような気がする。

というのも、キレイな平面を出すことが良いとされていたし、

隙間なく仕口が組まれていることが良いとされていた。

その正解に向かって、それなりにやっていたから最終評価や完成形に何かを言われることに違和感を覚えていた。

「そんなに、見てないじゃんって」

 

 

その点、接客業のバイトは自分の中である程度正解が見えていたような気がする。

お客さんが喜んで帰ってくれたら、上出来。

常にお客さんに満足してもらえるように努めることが、正解として教えられた。

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今となっては、それもそれで社畜みたいな思考だし、これからの時代に合っているのかは分からないけれど、私はそれがしっくりきていたし、それで納得していた。あとは行動ができていないと、給料という形で発生するお金に対してちょっと違和感を覚えてしまう。

お客さんが来ていなくて、その時にできる仕事は全部できてしまっているという時にボーッとせざるを得ない事態で、でも給料が発生してしまうという状況が苦手でモヤモヤがちだったのですが、これこそ本当に社畜の思考だよなぁと。

それのおかげで効率よく動けたり生活を送れている点もありますが、いきすぎるとやっぱりあんまり良くないとは思うので、程々に思考の制限をかけて行きたい部分ではありますね。

 

でも、今のバイトは違うからストレスが溜まりすぎて困ってしまう。

↑これは当時の意見。わかるよ......という感じ。

結局私はここのバイトを大学卒業までしっかり務めましたが、途中でトラブルがあったりアレコレしても残ることができたのは、可愛い後輩たちがいる・美味しいご飯が食べられる・終わりが明確に見えていたから などなどの理由です。

もっと働いてた人たちの年齢層が高かったり同じ大学の人間がいたりっていう状況なら確実にさっさと辞めてました。

あの頃に働いてた人たちはもう辞めてしまっていたりするので、私はもうあの場所には頼まれても戻りません。(´∀`*)

 

ファーストフードのあの店には、戻ろうかと思う時もあれど、今はやっぱりこのご時世なので飲食店や接客業に関わることは難しいですね。

だがしかし明日や来月にどのような思考で動いているかは私にも分からないので、自分の人生の楽しさや幸せを感じられる選択を常にして生きたいですね(•̀ᴗ•́)و ̑̑

 

2018.07.19 の、いつの時間帯に書いてたのかも分からないような散文に、今の自分が分かりやすく修正や付け足しをしたもの。

 

2021.01.26 18:18